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自由になるために

思ったことや考えたこと、コラムなど。自由気ままに書いています。

全てが上手くいく魔法の技術という名の机上の空論

メタ的な技術がすべてをブーストさせる

学習心理学に汎化という概念がある。
これは例えば、野球が得意な人は野球以外の球技を練習せずともはじめからある程度はできてしまったり、数学が得意な人は物理も得意。といった具合である。

いわずもがなであるが、これらがなぜ汎化するのかといえば、これらは互いに似通ったものであり、共通の技能を必要とするからである。

あらゆる技術は基本的には部分部分の組み合わせである。
勉学でも運動でも職人技でも基礎が重要視されるのはそのためである。
部分を完璧にし、それらを組み合わせる。全体的により良く組み合わせれば技術になる。
(この全体も、考え方や捉え方、組み合わせ方を完璧にするという意味で部分であるといえるかもしれない。ただの言葉遊びかもしれない。)


技術というものは非常に豊富な種類がある。
あらゆる技能。才能やらセンスとか呼ばれる分野にさえ技術というのは必ず登場する。
例えば作曲や具象画、配色、デザインのような分野にさえ恐ろしく具体的で学べばある程度はできるようになる技術がある。

勿論、技術のみで説明できないところもあるし、発見されていない技術もあるし、技術の習熟度にも個体差はでてくるが。

しかし、才能がなくても技術を身につければ誰でもある程度はこなせるようになるは間違いない。


なにを言いたいのかというと、
仮にほぼ世の中にある技術全てに共通するものを身につけてしまえば汎化をもってより少ない訓練ですむようになるということである。

つまりより早くできる事柄が増えるということだ。
技術を身につけるための技術とでもいえばいいのだろうか。

さらには技術を発見しつくりだす技術があればなお良い(後述)。


技術を身に付ける技術。技術を見つける技術。これら二つが組み合わさったものをメタ的技術と呼ぼう。

これは最強の技術だ。何もかもがある程度うまくいく。
人間関係で困ることも少なくなり、少ない労働時間でより多くのお金を稼ぐこともできるようになる。余った時間は趣味や家族、友達と過ごせる。

先程もいったとおり、技術の習熟度にも当然個人差があるし、技術では補えないものもある。だがその二つの技術を身に付けている、身に付けていないでは天と地ほどの差が出るだろう。


と、これらは机上の空論である。
そんなうまいものがあればぜひ試食したいものだが、大抵の人が知らないように私もそんな料理は知らない。*1


あらゆるものを吸収する技術

しかし、恐らくそれに近いようなものはある。

分析的思考、論理的・合理的な思考、メタ的な思考と呼ばれるようなものがそれに相当するものである。

よく聞くものたちだが、これらの技術の特徴は目に見えない思考プロセスだということ。
これらは重要なものを抽出し系統だてる。重要ではないものを省ける。身につければほぼあらゆるものが何倍も早くこなせるようになる。秀才になる技術ともいえる。

メタ的な思考は説明がしづらいがここでは”そもそも○○なのではないか?”という問いをするということに近い
例えば何年間もずっと毎日何十時間も勉強をしてめぼしい効果がでてこない場合、そもそも自分の勉強のやり方が間違っているのではないかという発想がない。

全てが上手くいくはずの魔法

こういう方法がある。

「全ての失敗や不幸の原因を自分の言動に求め、対処すべき対象とどうでも良いものを適切に見極める。そして、対処すべきものには適切な原因の特定とそれに対する改善策を考え実行する。上手いかなかったら適切なタイミングで改善策を変え実行する。ということを繰り返す。(ほぼPDCAサイクル)」

この方法は改善していきながら効率化する、失敗を減らす。
これが技術の習得というメタ的なことにも当てはめられるようになると見につけることがはやくなる。技術を身に付けるための技術とまではいかないかもしれないが近いは近い。


さらにこれらに加えて
「成功例と失敗例のそれぞれの分析+具体的な目的・目標を元に優先順位で行動

を行えば”技術を発見し技術をつくりだす技術”に近いものもできるだろう。

さらっと言ってしまったが、なんせ技術を発見しつくりだす技術なんて思い付かない。技術を身に付ける技術を活用してほんのちょっとそれっぽいものしかわからない。
そもそも技術を身につける技術に近いものにたくさん出てくる"適切"って何だよという感じである。そこが一番重要なところじゃあないか。それが一番知りたいところなんだよバカヤロウ。

だがこれらがうまくできる人はなにをやってもある程度成功するのは間違いない。

"できる人は"だが…。


言わずもがなだがこれらのことは大半の人ができない(当然自分も)。

・自分は無関係だとし他人や運気などのせいにする
・自分を責め気力をなくすだけ(根性がないからだ、甘えてるからだ。これらは原因ではなくレッテル張りである。)
・原因追及を対処不能なものにしてしまう(やる気がないからだ、才能がないからだ。これらは思考停止に陥る。)
・改善策を具体化しない・一つしか考えない(複数考えより効果があり実行に移しやすいものはなにか優先順位で考えると良い)
・改善策を変えるタイミングを間違える。


これらを改めできるようになる具体的な訓練方法は知らないが、できないという自覚を促すための判断基準はある。

とにかく今上手くいっていないのならば自分に不幸、不快な出来事が起きたら通り魔でもない限り例外なくすべて自分の言動”にも”原因があると考える
ということだ。

例えば、何らかの愚痴を言ったらもれなく自分のことも考えるべきで、それができてないのなら上記のことももれなくできてないと考えた方が良い。*2


分析的思考、論理・合理的思考、メタ的思考についてのより詳しことはながくなりそうだからここでは書かない(さっきの訓練含め、私自身できているか不安だからこそいずれ記事にしたい)

*1:技術でなければ、一般知能とか、IQとか呼ばれるものが近いのかもしれない

*2:原因と責任は異なる概念で混同するようなものではないし、原因があるからといって必ず対処しなければいけない。というわけでもない。